「ヨット文化発生装置」としてのクラブハウス
序
昨年の総会でクラブハウスに関してのアンケートをとったところ、60名の方々に返事を頂き貴重な意見を頂戴することが出来、それに基づいてデザインを進めて行った。
当初ミニマムな工事費の計画で進めたが、いかにも予算が不足し皆様方に寄付を仰いだところ想定以上の額が集まりこの度の竣工にいたりましたこと感謝に耐えません。
構想にあった塀の実現には地主の了解、近隣との調整等があり少し時間を頂きたいと考えております。
以下どのような考えでインテリアのデザインをしたかについて説明いたします。
入口ドアの ビフォー / アフター
1. インテリアデザインコンセプト
計画時に示した全体コンセプトは昨年の総会においてパネルで展示したが内容は以下のようであった。
・諸磯湾=マルセイユ港のように世界に開いた入り江の港
・MYOC自体のイメージ=カリブの海賊:自由闊達な生き方
・敷地=砦:塀を巡らし存在感を表わす
・クラブハウス=海賊船の雑多なキャビン
等でした。
今回クラブハウスの具体的デザインは上記に基づいた上、以下のデザインコンセプトで進めた。
1)日常性から脱日常性へ
出来る限り家庭、オフィスに見られるものは排除し、われわれヨットマン、ヨットウーマン(以降略してヨットマン)のよって立つべきところを明解に表現する。
例えばキッチンセットは通常のものを使いたくなかったため、随分探して現状のものになった。
北欧製なので国産のものより10センチぐらいカウンターが高くなっている。
又キッチンにあるワイングラスハンガーは収納ではなく照明器具として機能させているのである。
2)高級感から充実感へ
天井のあったビフォー → 小屋組み表わしのアフター
ヨットマンが求めているのは高級なものではなく、きわめて合目的的なしつらえである。
たとえば室内は全て木材で仕上げてあるが壁、家具の材料は安いラワンランバーコアで、これは所謂ベニヤの1種である。天井裏の小屋組みが以外にしっかり作ってあるのを評価し、天井は外したままにした。
これにより部屋が以前よりも広く感じることが出来るようになった。
3)おしゃれよりバンカラへ
おしゃれは通俗的で流行性の強い外観の表現とすれば、バンカラは実用的で表向きを問わない素朴で実は機能性は高いものである。
一般的な美しい仕上げのインテリアは通常天井を張るものであるが、あえてそれを外し建物の力学的な仕組みを楽しむのはバンカラなのである。2段ベッドはキッチンセットの跡をうまく利用し壁の中にはめ込んだ。
4)明るさから暗さへ
クラブハウスの最も重要な機能は理事会開催です。
そのために古い蛍光灯は残し1本の器具のように並べて吊るし明るさを確保した。
しかし談笑の時ではそれを消し、あらわにした天井裏の小屋組みに仕込んだ電球の間接照明で暗さを演出した。
バーの照明も調光装置をつけて話しの目的或は相手次第で照度を調整できるようにした。
昼間デッキの開放された明るさと対照的に閉じた暗さを意識的に演出した。
2. インテリアデザイン=小さな都市計画
原状及びアンケートに基づいた主な機能は次の四つである。
1.インフォメーションセンター:パソコン、LAN装置、本棚兼飾り棚
2.休憩、緊急宿泊
3.キッチン
4.バー
これらを配置するときに頭に描いたのは西洋にある広場である。
会議テーブルがある部分は「広場」である。その「広場」の周りにカテドラル=インフォメーションセンター、ホテル=2段ベッド、飲み屋街=バー、レストラン=キッチンを配置した。
つまりこれ等ミクロな都市を形成しているのである。
インフォメーションセンター=カテドラル 2段ベッド=ホテル
つまり私にとって「インテリアデザインとは小さな都市計画」なのだ。
各々目的を持ったメンバーは三々五々と集まり挨拶を交わし、軽口を叩き、ビールを飲み、知らない人々同士も肩を叩いて成功談、失敗談を自慢しながら談笑する場である。
これはまさしく都市の営みと同じなのである。
原則として「広場」に行けば誰かいると言う状態を保つのである。アンケートで意外に多かった意見は他艇との交流だった。
後で述べるヨット文化を再生するためにも人とのネットワークを広め掘り下げるため「広場」に積極的に行きましょう。
「広場」の周りの右側より「カテドラル」「ホテル」「飲食外」「バー」
「広場」を取り囲む4つの機能はそれぞれ固有な形を持ち独立した大きな家具をプラグインすることにより成り立っている。
つまり大きな家具は小さな建築なのです。
ここでは大と小、マクロとミクロが絡み合い逆転しながらクラブハウスに適正なスケール感を演出しているのである。
又狭い空間を有効に使うためバーには180度開閉できるパーティションが付属している。
理事会を開いているときでもそれを尻目にパーティションを開き、バーで連れの美女とカクテルを傾ける度胸がある海の男の 「バー」のパーティション
出現を理事一同期待しているのである。
「バー」のパーティションを開いた状態
3.ヨット文化の劣化
老齢化したMYOCは往時の3分の2にヨットの艇数が減少し更に減少を続けるかに見えている。
最近オーナーの多くが感じているのは新規参入クルー確保の難しさだ。
これは一口に言えばヨット文化の劣化或は衰退であると言える。
思えば若かりし頃の舵誌には大阪大学造船学科名誉教授 野本謙作、後楽園社長 田辺英蔵、小説家 石原慎太郎の3名によるそれぞれの得意分野の豊富な知識に基づいた随筆が連載されていた。
まさにその時が日本におけるヨットの最盛期であったと思う。
これらの随筆はわれわれを海に向かわせるに十分すぎる吸引力を持っていた。
最近の舵誌にはその面影は無く、人の写真が一杯載りその人以外は買う気も起きないクラブ誌のごとしであり、掲載記事もバラバラで雑多過ぎ思想の統一感が感じられない。
車の世界に例をとると「カーグラフィック誌」は初代編集長の小林彰太郎以来厳正中立な評論と美しい写真、環境問題も扱い日本独自の車文化を培ってきた。
小林亡き後もその精神は受け継がれている。
グループでドライブに行ってスナップ写真など扱ってない。
たまたま舵誌最近号に慎太郎の油壺の歴史についての記事が載っているが、単に往時の自慢話で既に吸引力は皆無である。
これは舵誌の責任か社会の変化なのかと考えたとき、我々ヨットオーナーの確固たる将来のイメージも無い気ままな振る舞いにも責任の一端はあるに違いないと思われる。
このままではヨットマンは絶滅危惧種なのです。
ヨット文化の劣化の一つとして考えられるのは経年変化による劣化である。
通常建物の劣化を押さえるのはメンテナンスである。
マンションであれば12年の一度の大規模修繕と称される外部の総点検と補修である。
ヨットの場合はそれと違って有史以来の歴史を持ち、遊びとしての歴史も200年は超えている。
そして欧州の場合ニースやあの巨大なマルセイユのマリーナのヨット数が減っているようには見えない。
これは西洋独特のヨット文化なるものが不断の文化的メンテナンスを行っていると解釈できる。
我々に課せられるのはこのまま減少を見物するのではなく積極的にMYOCに若いヨットマンを引き寄せ育てることと感じている。
これが劣化に対抗できる手段の一つであろう。
一つ言えるのは諸磯、油壺、小網代は共通の高いハードルを持っていると言うことだ。
これに対してもはや沿岸漁業の先細りに抵抗できない漁業者と監督官庁は、代わりにヨットとの接点を拡大できる可能性を十分考えるべきと言える。
4. ヨット文化の再生
最近MYOCにおいて特筆すべき新しい動きがいくつかあった。
1、ホームページの開設
2.諸磯ワインの製造分譲
3.諸磯ポロシャツの発売
4.クラブハウスの改装
5.「諸磯文化研究会」確立の動き
これ以外にも夏祭りは諸磯湾を越えた地域的な広がりを見せようとしている。
そしてチャリティセーリングはMYOCの誇りと言えなくない。
結論を言えばこれらはヨットライフを単なる趣味、道楽、スポーツ或は異性不純交際!の世界から包括的文化レベルへの昇華の試みなのである。
つまりかって華やかだったヨット文化の再生方法論のまさぐりが始まっていると言うことであり、すなわち独自の「ヨット文化発生装置」として本クラブハウスを位置づけたいと願っているのです。
これにはあらゆる方向からのアプローチがあると思われる。
クラブハウスのバーでの他艇のオーナーやクルーと話の中からも思わぬ文化のかけらが立ち上がらないとは言い切れず、理事会の意見の交換の中からでもその萌芽があるに違いない。
問題はそのかけらの持つ意味に我々が気がつくか否かと思われる。
片方「諸磯文化研究会」なるものを我がMYOCのホームページで無謀にも立ち上げたところ、既に10人の会員が集まりました。
その一環として先日未知なものへの知的渇望に飢えた12名の有志によって「元東京大学海洋実験所」の見学ツアーを面白く実施したのである。
この建物は耐震力不足で壊されることが決まっている。その無念さを押し殺した所長の丁寧な案内で今までまるで知らなかった館内を見ることが出来た。この紀行文はホームページ内に掲載してある。
「諸磯文化研究会」の目的の一つは諸磯湾を外洋クルージングの基地に位置付けることである。
人間魚雷の基地がここにあったのは偶然ではなく諸磯は地政学的に日本近海の要所であり、その地形も外部から程よく遮断されていることを物語っている。
ヨットオーナー&クルー/MYOCクラブハウス/諸磯ヨットオーナーズクラブ/諸磯湾というレイヤー群のトップに「諸磯文化」を位置づけたいと思っている。
又これ5層のレイヤー群を環境的、物理的に繋げる手段が「諸磯文化研究会」にスケッチを載せた諸磯湾を木のデッキで取り巻く「スーパーデッキ」なのです。
かくして構想は果てしなく繋がって行くのである。
文責 阿部暢夫
阿仁丸 Animaru3
阿部設計室
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