諸磯文化研究会

諸磯文化創設プログラム

1.前 文


諸磯湾をその持つ強力な潜在力に応えるべく、海洋国日本の文化的玄関口にしようとするこれは想像的で且つ真剣な企みです。
ここ諸磯湾は、日本でも例がないほどの類まれな景観を持った漁港及びヨット泊地として、その名はヨットマニアの中では知らぬ者は無いのです。
諸磯湾の特徴は東西に細長く、その湾奥から肩を寄せ合ったヨットのマストと並んで真正面に富士山が仰げることなのです。係留中のヨットのデッキからも富士の美しい姿を見ることができるとびきりの場所なのです。

そして湾の両サイドは自然の緑に包まれており昭和4年天然記念物として登録されています。
しかしながら諸磯漁港としては最近その業績不振と後継者不足でみうら漁協に吸収され、片方ヨット泊地としての「諸磯ヨットオーナーズクラブ」は、歴史は50年を超えるものの、同様後継者不足で消滅の方向に向かおうとしているかのようにも見え、もしこの両者が存在感を減らしてしまうと現在湾の周辺を構成している住居別荘群、造船所、飲食店等の単なる背景となってしまい、その持っている偉大な潜在力はその特徴を発揮することなく一寒村になっていくのではないかと危惧されています。
そしてこの試みはそのような状況からの脱却を如何に図り、且つ「諸磯文化」と言えるような独自の文化を漂わすエリアに格上げすることを目指す一建築家の戦略的序奏なのであります。

2.現 状

カフェ「Sopra」のデッキより

カフェ「Sopra」のデッキより

諸磯湾は東西約800メーター、南北約100~200メーターの細長い形状をしたリアス式海岸の一部をなしています。
湾口近くに漁港があり、湾奥に約100杯のクルージングヨットが係留されています。
また南側岸壁には民間経営のマリーナがあって約100杯のヨットとパワーボートが陸置きされています。
それ以外には造船所、レストラン2軒、カフェ、マンション1棟、戸建住居・別荘、老人マンション、分譲造成地が軒を連ねており、それらの背後は自然の森に囲まれています。

諸磯湾は東西約800メーター、南北約100~200メーターの細長い形状をしたリアス式海岸の一部をなしています。
湾口近くに漁港があり、湾奥に約100杯のクルージングヨットが水面係留されています。
また、南側岸壁には民間経営のマリーナがあり約100杯のヨットとパワーボートが陸置きされています。
それ以外には造船所、レストラン、カフェ、マンション1棟、戸建住居・別荘、老人マンション、分譲造成地が軒を連ねています。
以前は飲み屋が1件ありましたが既に廃業されており、それらの背後は自然の森に囲まれています。

5~6年前にオープンした湾入り口近くの「風工房」は本格的なレストラン経営にとどまらず、陶芸教室をはじめ季節に沿った色々な体験制作スクールを開催し、諸磯湾に新しい風を吹き込みつつあり、「諸磯文化」の新しい息吹を感じさせるものとも言えます。
また、写真の「SOPRA」も美味なパニーニを提供し、いわゆる「地中海文化」との接点を感じさせます。

諸磯湾周辺の海は世界的にも稀な生物相を有しているため、日本では一番古く世界でも最も歴史ある東京大学三崎臨界実験所が湾口にあり、130年の歴史を有しており、年間2万5千人の研究者、学生に利用されていますが、残念ながら耐震性の問題があり今は公開は中止されてます。



3.歴史的背景

1)縄文前期 約1万5千年前


縄文土器:濱諸磯に向かう道路の崖から発見されて諸磯式土器と名付けられました。
この土器は所謂縄文模様が明確に表されており、ここに限らず関東以北一円に分泌している縄文土器の総称となりました。
その近くでは縦穴式住居跡も発掘されています。
つまり諸磯は海の幸山の幸に恵まれ、いかに太古より住み易かったかを表わしています。
それは諸磯縄文人の美的センスの高さを証明するものなのです。
https://ja.wikipedia.org/wiki

2)鎌倉時代

三浦一族が諸磯湾口の新井城に籠城したものの執権北条時頼の外戚となった安達氏によって壊滅させられました。
これはかの大川周明著「日本2600年史」にも取り上げられており、源平盛衰につながる事件なのです。
三浦一族は三浦半島はおろか房総に領地を構え陸奥糠部から南は九州筑前にまで広がっていました。
三浦姓が全国に現存するのはそのためです。
https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/0130/culture_info/miura_ichizoku/history.html
諸磯湾を出た帆掛け舟はGPSも無い時代に全国に領地を拡大していたのです。

3)第2次大戦

洞窟陣地のプラン

洞窟内写真

諸磯灯台近くの洞窟は狙撃用洞窟陣地として装備され、又湾内の洞窟は人間魚雷の横須賀鎮守府第11突撃隊陣地としての悲しくも悲惨な記憶を持っています。
敗戦時彼らが放棄した弾丸は湾の浚渫時数百発も発見収容されました。
http://teeart.blog107.fc2.com/blog-entry-33.html
これを見ずして平和を語ることはできません。

4)MYOC時代  ホームページ参照

一時は150杯を超えるヨットが係留し相模灘ヨット界の主であった時代は過ぎ、その平均年齢は65歳をゆうに超え晩年期高齢者のアジトになりつつあるのです。
その初期には昭和を代表する故三船敏郎、故田中絹代(?)の別荘もありました。

左:三船別荘 右:田中絹代別荘廃墟 (田中絹代は確認が取れてない)

そしてこの沈下しつつある状況を如何に打破するかが今問われようとしています。
つまりここ諸磯湾は、はるか1万4000年猶予の悠久な歴史を持ち、且つ天然記念物に指定され、美しい富士の夕焼けを堪能できるまさに「理想郷」なのです。

4.構成要素:研究対象


ここ諸磯においてはその優勢な景観と地の利(水の利?)により、多彩な構成に耐えられる無限の潜在力を秘めている為以下の構成要素が可能です。
南仏マルセーユを一つの規範とします。

  • 歴史探訪:縄文遺跡、新井城、洞窟探索等の調査実践を通して諸磯の歴史書発行、及び博物館開設
  • 既にある漁港の再開発的発展と開いた港へ→遊魚船からの脱却、海の幸の販売等
  • ヨットの試乗とクルー及びオーナーへの昇格の可能性検討
      及び既に係留しているヨットの安全確保の継続と余ったスペースの係留誘致の可能性検討
  • 国籍を問わずクルージングヨットの短期係留基地:休息、食事、ヨット修理、
      及び伊豆半島・伊豆諸島クルーズへの情報拠点:クルーズ計画の相談、泊地情報の提供
  • 相模灘魚介類と地中海料理のフュージョン、朝市・競り市の開催及びマリングッズ等海にちなんだ店々の開店
  • 東大臨海研究所の一般公開(昔は研究施設・水族館として一般公開されていたが、耐震性に問題あり一般公開は閉鎖されています)

5.展開方法

現状航空写真 Google より

開発インフラストラクチャー:「スーパーデッキ」

試案ではありますが、来るべき「諸磯文化開発」のインフラストラクチャーは湾の周囲に巡らす「ウッドデッキ」であります。このデッキを「スーパーデッキ」と呼びます。そして人々はこのデッキを上記7項の構成要素を包括的視覚的食客的な耽美の世界に浸りながら散策できるようになります。
これはあくまでも公共施設であるので関係官庁の許認可とともに、確たる予算確保が必要であることは言うまでもありません。

6.推進方法

ここ諸磯湾の主役である「諸磯ヨットオーナーズクラブ:MYOC」のホームページを借り、同好の志を持つ方々を内外から幅広く募集します。
上記7項の構成要素に沿った分科会を作り必要に応じてそれら分科会を継続的に開き各々の好奇心、探究心を満足すべく、且つ総合的諸磯文化を熟成していきたいと願っております。
そして諸磯にいまだかって存在しなかった快適で平和的文化的な入り江を形作って行く考えです。

ご賛同いただき、「諸磯文化研究会」への参加をご希望される方は、以下のフォームから応募いただきますようお願いいたします。

お名前 *
E-mail *
電話番号
住所
興味のある構成要素(複数回答可/自由回答) *
参加行動可能な曜日(曜日記入)

※この会はあくまでも個人的なものでありMYOCの一部を成すものではありません。
提案者:阿部暢夫 nobuo-abe@pop14.odn.ne.jp    
    諸磯ヨットオーナーズクラブ会員 阿仁丸船長